2013年9月5日木曜日

今日のコラム

     *

 幕末維新の英雄、勝海舟には、「青い目の嫁」がいた。米国の実業学校の校長だった父とともに明治8(1875)年、14歳で来日したクララ・ホイットニーだ。海舟一家と、家族ぐるみの付き合いが始まり、やがて三男の梅太郎と結婚する。
 よく知られているように、海舟には何人もの妾(めかけ)がいた。あろうことか自宅で妻と同居させてもいた。クララはある日、梅太郎から自分も妾の子だと、打ち明けられる。梅太郎が3歳のときに、母親と死別していた。「私はショックだ」。後に邦訳出版された日記に、書き残している。
 結婚していない男女の間に生まれた子、いわゆる婚外子(非嫡出子)の遺産相続分は嫡出子の半分とする。最高裁はきのう、民法のこの規定を憲法違反だと初めて判断した。当然だろう。明治時代はいざ知らず平成の世にあって、「法の下の平等」の原則に反するのは明らかだ。
 ただ、「家庭を壊された」嫡出子側の憤りを思えば、手放しで喜ぶ気にもなれない。そもそも、家庭の外で子供を作るほどの覚悟があるのなら、自分の死後、せめて遺産相続で子供たちがもめないように手当てをしておくのが、「男の甲斐(かい)性」というものだろう。クララは米国に帰ってしまうも、勝家からの送金は続いた。
 クララは、妾制度は認めなかったものの、海舟への尊敬の念は強かった。日記には、厳寒の大晦日(みそか)に海舟が粗末な着物に身をやつし、貧困に苦しむ旧幕臣に餅代を配るエピソードも綴(つづ)られている。
 海舟も、クララと孫たちをたいそうかわいがり、その行く末を案じていたようだ。海舟が亡くなると、クララは生活力のない梅太郎と離婚して、米国に帰ってしまう。その後もずっと、勝家からの送金は続いたという。海舟の遺言があったのかもしれない。やっぱり、海舟は偉い。 

                 〈文頭に戻る〉


Kingo Sasa【笹  謹吾】شكرا 🌻



0 件のコメント:

コメントを投稿