2013年9月17日火曜日

2020年東京五輪の経済効果はどれほどか | BPnetビズカレッジ | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

2020年東京五輪の経済効果はどれほどか

 2020年の夏季オリンピック開催都市が東京に決まりました。とてもうれしいことです。東京での開催は、1964年に行われた東京五輪以来56年ぶりになります。
 そこで多くの人が気になるのは、東京での開催による経済効果はどれくらい期待できるのか、という点です。東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会は、五輪開催の経済波及効果は約3兆円(2兆9609億円)に上ると試算しています。別の調査機関では150兆円にも上ると見積もっているところもあるようですが、私は残念ながら、国民全体に経済効果が実感できるほどの効果は得られないのではないかと考えています。もちろん、気分的にはかなり盛り上がりますが、経済効果はさしてないと考えているのです。今回は、東京五輪が経済に与える影響について、私の考えを述べたいと思います。

経済効果は景気を浮揚させるほどの力はない

 東京五輪開催に向けて、どれくらいの経済効果があるのか。まず、競技場や選手村などの関係施設整備費として、3560億円が計上されています。

 東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会によると、今後7年間の経済波及効果は約3兆円(2兆9609億円)になると試算していますが、そのうちの大部分を占める大会運営費や観戦客など支出は2019年と2020年に集中すると考えられるため、2013年から見込まれる施設整備の支出は、この3560億円です。その他の投資額を入れても5000憶円弱です。

 元々、東京五輪はコンパクトな五輪にするということでしたから、追加のインフラ整備もそれほど大きな額にはならいのです。

 ちなみに、今年度に執行される公共事業費は、どれくらいあるのでしょうか。2013年度の一般会計予算のうち、公共事業関係費は5兆3000億円、2012年度補正予算では約4兆円、合計で約10兆円近くの予算を計上しています。この額に比べると、東京五輪の関係施設整備費は小さな額です。それも数年にわたって支出されるのです。

 私は、残念ながら、東京五輪の経済効果はそれほど大きくないと考えています。前回東京で開催された1964年の経済効果を思い起こす人もいらっしゃるかもしれませんが、当時と今とでは、経済規模が全く違うからです。

 1964年の日本の名目GDPは、およそ30兆円弱。現在は約480兆円ありますから、当時の経済規模は現在の16分の1程度しかなかったことが分かります。

 なおかつ、1964年当時のインフレ率は3%強、その前後の年は5%を超えていました。もっと驚くべきなのは、実質成長率が10%前後もあったということです。当時の日本は、北京五輪当時の中国ほどの経済成長をしていたのです。

 このように当時の日本は、高度経済成長期の真っ只中でした。池田首相が所得倍増計画を打ち出したのが1960年。そして東京五輪開催のために世界銀行から借款を受けて、新幹線や首都高速道路を造りました。こうしてインフラの整備を急速に進めたことが、経済成長を加速させた部分が大きいのです。

 一方、現在の状況を振り返ってみましょう。このコラムでも何度もお話ししてきましたが、今のGDPは1990年代初頭から20年以上も停滞しています。さらに、政府がインフレ目標を設定しなければならないほど、デフレが進んでいる状況です。

 そして今回の場合は、インフラの整備はほとんどありません。逆に、今はインフラの老朽化が問題になっています。首都高速道路の改修工事も行われることになっています。これは必要な工事ではありますが、単なる耐震工事程度なら五輪後も経済に貢献し続けるというものではありません。

 このように、1964年と現在とでは、経済規模も経済状況も全く異なっているのです。これから3560億円の建設費用が使われたとしても、一部の建設会社やゼネコンは潤うかもしれませんが、景気を浮揚させるほどの力は、おそらくありません。それが3兆円だとしてもやはり経済の起爆剤というには力不足です。

 2019年から2020年にかけて、大会運営費や観戦客の消費などが期待できると考えられていますが、どの程度の規模になるのでしょうか。その規模を先ほどの招致委員会の試算からざっくりと計算しますと、全体の2兆9609億円から3600億円を差し引いた2兆6000億円ほどになります。3兆円という規模は、現在のGDPの0.6%程度にしかなりません。

 ただ、気分的に明るくなりますから、経済という側面から考えても、五輪開催は悪いことではないと思います。それから、私たちが1964年の東京五輪で夢を見せてもらったように、今の子どもたちに夢を見せてあげたいという気持ちもあります。ですから、東京開催自体はとても喜ばしいことだと思います。

 しかし、経済効果はあまり期待しない方がいいということです。一方、経済的なことは別として、現状の日本の状況を考えれば、オリンピックを契機に、徹底的に地下鉄やオリンピック関連施設のバリアフリー化をして欲しいと思います。そうすれば、オリンピック後も、ますます高齢化する社会への貢献は大きいと思います。

 ただし、東京の施設整備が進めば進むほど、東京一極集中が進むという懸念があります。地方の疲弊や被災地の状況を私たちは忘れてはならないことです。

 東京五輪よりも大切なのは、アベノミクス成長戦略第二弾です。東京五輪開催の報道に浮かれてしまって、成長戦略第二弾の内容が疎かになってしまっては困ります。本格的な成長には、徹底した規制緩和や課税ベースを拡大しての法人税率引き下げなどの抜本策が必要なのです。



Kingo Sasa【笹  謹吾】شكرا 🌻



2013年9月7日土曜日

「私には夢がある」(1963年)

「私には夢がある」(1963年)

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア

解説

1963年8月28日、職と自由を求めた「ワシントン大行進」の一環として25万人近い人々がワシントンDCに集結した。デモ参加者たちは、ワシントン記念塔からリンカーン記念堂まで行進した。そこですべての社会階層の人々が、公民権と、皮膚の色や出身などに関係なくあらゆる市民を対象とした平等な保護を求めた。

この日最後の演説者となったのがマーティン・ルーサー・キング・ジュニア博士だった。キングの行った「私には夢がある」(I Have a Dream)の演説は、独立宣言にも盛り込まれている「すべての人間は平等に作られている」という理念を網羅するものだった。あらゆる民族、あらゆる出身のすべての人々に自由と民主主義を求めるキングのメッセージは、米国公民権運動の中で記念碑的な言葉として記憶されることとなった。

その次の年、米国連邦議会は「1964年公民権法」を通過させた。それは公共の場における人種分離を禁止し、公立学校・施設における人種統合を規定し、人種や民族に基づく雇用を違法とするものだった。同法は、南北戦争に続く「再建時代」以来、最も包括的な公民権立法だった。

1963年8月28日、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアはワシントン行進の群集に「私には夢がある」という歴史的な演説を行った(©AP Images)

「私には夢がある」

1963年8月28日

今日私は、米国史の中で、自由を求める最も偉大なデモとして歴史に残ることになるこの集会に、皆さんと共に参加できることを嬉しく思う。

100年前、ある偉大な米国民が、奴隷解放宣言に署名した。今われわれは、その人を象徴する坐像の前に立っている。この極めて重大な布告は、容赦のない不正義の炎に焼かれていた何百万もの黒人奴隷たちに、大きな希望の光明として訪れた。それは、捕らわれの身にあった彼らの長い夜に終止符を打つ、喜びに満ちた夜明けとして訪れたのだった。

しかし100年を経た今日、黒人は依然として自由ではない。100年を経た今日、黒人の生活は、悲しいことに依然として人種隔離の手かせと人種差別の鎖によって縛られている。100年を経た今日、黒人は物質的繁栄という広大な海の真っ只中に浮かぶ、貧困という孤島に住んでいる。100年を経た今日、黒人は依然として米国社会の片隅で惨めな暮らしを送り、自国にいながら、まるで亡命者のような生活を送っている。そこで私たちは今日、この恥ずべき状況を劇的に訴えるために、ここに集まったのである。

ある意味で、われわれは、小切手を換金するためにわが国の首都に来ている。われわれの共和国の建築家たちが合衆国憲法と独立宣言に崇高な言葉を書き記した時、彼らは、あらゆる米国民が継承することになる約束手形に署名したのである。この手形は、すべての人々は、白人と同じく黒人も、生命、自由、そして幸福の追求という不可侵の権利を保証される、という約束だった。

今日米国が、黒人の市民に関する限り、この約束手形を不渡りにしていることは明らかである。米国はこの神聖な義務を果たす代わりに、黒人に対して不良小切手を渡した。その小切手は「残高不足」の印をつけられて戻ってきた。

だがわれわれは、正義の銀行が破産しているなどと思いたくない。この国の可能性を納めた大きな金庫が資金不足であるなどと信じたくない。だからわれわれは、この小切手を換金するために来ているのである。自由という財産と正義という保障を、請求に応じて受け取ることができるこの小切手を換金するために、ここにやって来たのだ。われわれはまた、現在の極めて緊迫している事態を米国に思い出させるために、この神聖な場所に来ている。今は、冷却期間を置くという贅沢にふけったり、漸進主義という鎮静薬を飲んだりしている時ではない。今こそ、民主主義の約束を現実にする時である。今こそ、暗くて荒廃した人種差別の谷から立ち上がり、日の当たる人種的正義の道へと歩む時である。今こそ、われわれの国を、人種的不正の流砂から、兄弟愛の揺るぎない岩盤の上へと引き上げる時である。今こそ、すべての神の子たちにとって、正義を現実とする時である。

この緊急事態を見過ごせば、この国にとって致命的となるであろう。黒人たちの正当な不満に満ちたこの酷暑の夏は、自由と平等の爽快な秋が到来しない限り、終わることがない。1963年は、終わりではなく始まりである。黒人はたまっていた鬱憤を晴らす必要があっただけだから、もうこれで満足するだろうと期待する人々は、米国が元の状態に戻ったならば、たたき起こされることになるだろう。黒人に公民権が与えられるまでは、米国には安息も平穏が訪れることはない。正義の明るい日が出現するまで、反乱の旋風はこの国の土台を揺るがし続けるだろう。

しかし私には、正義の殿堂の温かな入り口に立つ同胞たちに対して言わなければならないことがある。正当な居場所を確保する過程で、われわれは不正な行為を犯してはならない。われわれは、敵意と憎悪の杯を干すことによって、自由への渇きをいやそうとしないようにしよう。われわれは、絶えず尊厳と規律の高い次元での闘争を展開していかなければならない。われわれの創造的な抗議を、肉体的暴力へ堕落させてはならない。われわれは、肉体的な力に魂の力で対抗するという荘厳な高みに、何度も繰り返し上がらなければならない。信じがたい新たな闘志が黒人社会全体を包み込んでいるが、それがすべての白人に対する不信につながることがあってはならない。なぜなら、われわれの白人の兄弟の多くは、今日彼らがここにいることからも証明されるように、彼らの運命がわれわれの運命と結び付いていることを認識するようになったからである。また、彼らの自由がわれわれの自由と分かち難く結びついていることを認識するようになったからである。われわれは、たった一人で歩くことはできない。

そして、歩くからには、前進あるのみということを心に誓わなければならない。引き返すことはできないのである。公民権運動に献身する人々に対して、「あなたはいつになったら満足するのか」と聞く人たちもいる。われわれは、黒人が警察の言語に絶する恐ろしい残虐行為の犠牲者である限りは、決して満足することはできない。われわれは、旅に疲れた重い体を、道路沿いのモーテルや町のホテルで休めることを許されない限り、決して満足することはできない。われわれは、黒人の基本的な移動の範囲が、小さなゲットーから大きなゲットーまでである限り、満足することはできない。われわれは、われわれの子どもたちが、「白人専用」という標識によって、人格をはぎとられ尊厳を奪われている限り、決して満足することはできない。ミシシッピ州の黒人が投票できず、ニューヨーク州の黒人が投票に値する対象はないと考えている限り、われわれは決して満足することはできない。そうだ、決して、われわれは満足することはできないのだ。そして、正義が河水のように流れ下り、公正が力強い急流となって流れ落ちるまで、われわれは決して満足することはないだろう。

私は、今日ここに、多大な試練と苦難を乗り越えてきた人々が、あなたがたの中にいることを知らないわけではない。刑務所の狭い監房から出てきたばかりの人たちも、あなたがたの中にいる。自由を追求したために、迫害の嵐に打たれ、警察の暴力の旋風に圧倒された場所から、ここへ来た人たちもいる。あなたがたは常軌を逸した苦しみの経験を重ねた勇士である。これからも、不当な苦しみは救済されるという信念を持って活動を続けようではないか。

ミシシッピ州へ帰っていこう、アラバマ州へ帰っていこう、サウスカロライナ州へ帰っていこう、ジョージア州へ帰っていこう、ルイジアナ州へ帰っていこう、そして北部の都市のスラム街やゲットーへ帰っていこう。きっとこの状況は変えることができるし、変わるだろうということを信じて。

絶望の谷間でもがくことをやめよう。友よ、今日私は皆さんに言っておきたい。われわれは今日も明日も困難に直面するが、それでも私には夢がある。それは、アメリカの夢に深く根ざした夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢である。

私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。

今日、私には夢がある。

私には夢がある。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢である。

今日、私には夢がある。

私には夢がある。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢である。

これがわれわれの希望である。この信念を抱いて、私は南部へ戻って行く。この信念があれば、われわれは、絶望の山から希望の石を切り出すことができるだろう。この信念があれば、われわれは、この国の騒然たる不協和音を、兄弟愛の美しい交響曲に変えることができるだろう。この信念があれば、われわれは、いつの日か自由になると信じて、共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢獄に入り、共に自由のために立ち上がることができるだろう。

まさにその日にこそ、すべての神の子たちが、新しい意味を込めて、こう歌うことができるだろう。「わが国、それはそなたのもの。うるわしき自由の地よ。そなたのために、私は歌う。わが父祖たちの逝きし大地よ。巡礼者の誇れる大地よ。あらゆる山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。」

そして、米国が偉大な国家たらんとするならば、この歌が現実とならなければならない。だからこそ、ニューハンプシャーの美しい丘の上から自由の鐘を鳴り響かせよう。ニューヨークの雄大な山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。ペンシルベニアのアレゲーニー山脈の高みから、自由の鐘を鳴り響かせよう。

コロラドの雪に覆われたロッキー山脈から、自由の鐘を鳴り響かせよう。カリフォルニアのなだらかで美しい山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう。

だが、それだけではない。ジョージアのストーン・マウンテンからも、自由の鐘を鳴り響かせよう。

テネシーのルックアウト・マウンテンからも、自由の鐘を鳴り響かせよう。

ミシシッピのあらゆる丘と塚から、自由の鐘を鳴り響かせよう。そしてあらゆる山々から自由の鐘を鳴り響かせよう。

自由の鐘を鳴り響かせよう。これが実現する時、そして自由の鐘を鳴り響かせる時、すべての村やすべての集落、あらゆる州とあらゆる町から自由の鐘を鳴り響かせる時、われわれは神の子すべてが、黒人も白人も、ユダヤ教徒もユダヤ教徒以外も、プロテスタントもカトリック教徒も、共に手をとり合って、なつかしい黒人霊歌を歌うことのできる日の到来を早めることができるだろう。「ついに自由になった!ついに自由になった!全能の神に感謝する。われわれはついに自由になったのだ!」


Copyrighted by Dr. Martin Luther King, Jr. 1963.  Authorized by The King Center, Atlanta, GA.  For more information about building Dr. King's Beloved Community, visit www.thekingcenter.org

*上記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

[在日米国大使館ウェブサイト掲載日:1/14/2009 更新日:8/22/2013]



Kingo Sasa【笹  謹吾】شكرا 🌻



2013年9月5日木曜日

今日のコラム

     *

 幕末維新の英雄、勝海舟には、「青い目の嫁」がいた。米国の実業学校の校長だった父とともに明治8(1875)年、14歳で来日したクララ・ホイットニーだ。海舟一家と、家族ぐるみの付き合いが始まり、やがて三男の梅太郎と結婚する。
 よく知られているように、海舟には何人もの妾(めかけ)がいた。あろうことか自宅で妻と同居させてもいた。クララはある日、梅太郎から自分も妾の子だと、打ち明けられる。梅太郎が3歳のときに、母親と死別していた。「私はショックだ」。後に邦訳出版された日記に、書き残している。
 結婚していない男女の間に生まれた子、いわゆる婚外子(非嫡出子)の遺産相続分は嫡出子の半分とする。最高裁はきのう、民法のこの規定を憲法違反だと初めて判断した。当然だろう。明治時代はいざ知らず平成の世にあって、「法の下の平等」の原則に反するのは明らかだ。
 ただ、「家庭を壊された」嫡出子側の憤りを思えば、手放しで喜ぶ気にもなれない。そもそも、家庭の外で子供を作るほどの覚悟があるのなら、自分の死後、せめて遺産相続で子供たちがもめないように手当てをしておくのが、「男の甲斐(かい)性」というものだろう。クララは米国に帰ってしまうも、勝家からの送金は続いた。
 クララは、妾制度は認めなかったものの、海舟への尊敬の念は強かった。日記には、厳寒の大晦日(みそか)に海舟が粗末な着物に身をやつし、貧困に苦しむ旧幕臣に餅代を配るエピソードも綴(つづ)られている。
 海舟も、クララと孫たちをたいそうかわいがり、その行く末を案じていたようだ。海舟が亡くなると、クララは生活力のない梅太郎と離婚して、米国に帰ってしまう。その後もずっと、勝家からの送金は続いたという。海舟の遺言があったのかもしれない。やっぱり、海舟は偉い。 

                 〈文頭に戻る〉


Kingo Sasa【笹  謹吾】شكرا 🌻



2013年9月2日月曜日

消費税増税でも経済は成長するのか? 黒田日銀総裁発言の思惑とは | BPnetビズカレッジ | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

消費税増税でも経済は成長するのか? 黒田日銀総裁発言の思惑とは

 来年4月に消費税率を上げるかどうかの議論が続いています。日本経済は徐々に回復してきていることは間違いありませんが、いまのところ力強さはそれほどありません。ここで消費税を3%上げてしまうと景気が腰折れするのではないかという懸念も強まっており、増税を先延ばしするのか、年1%ずつ上げていくのか、などという案が出始めています。私も、消費税増税は柔軟に考えるべきだと思います。
 そうした中、日銀の黒田総裁が「消費税を増税しても、経済は成長する」と発言しました。私は、この発言にはさまざまな思惑があったのでないかと感じます。今回は、消費税増税について思うことを述べていきたいと思います。

黒田総裁の発言には意図を感じる

 8月9日付の日本経済新聞朝刊に、日銀の黒田総裁が「消費税を上げても、景気は伸びる」と発言したという記事が載っていました。

「日銀総裁「消費増税でも成長」 首相、秋に最終判断

 日銀の黒田東彦総裁は8日、金融政策決定会合後の記者会見で、消費税率を来春に引き上げても「成長が続く」と強調した。政府の財政規律が緩めば「金融緩和の効果に悪影響がある」とも指摘。政府内でくすぶる来春の消費税率上げの先延ばし論をけん制した。(2013年8月9日付 日本経済新聞朝刊)

 この発言に関して、私はいくつかの点で意図があると感じました。一つは、消費税増税の先延ばしを主張している人たちに対するけん制です。

 今、「消費税を上げてしまうと、景気が腰折れするのではないか」と懸念している人が多くいます。政府内部でも、せっかく回復してきた景気が減速するのはいかがなものかと、消費税増税に反対している人たちがいるのです。

 ご存じのように、内閣官房参与である浜田宏一氏(エール大学教授)も、消費税増税について「予定通りの消費税増税は、日本の景気に悪影響を与える可能性がある。増税を先送りするのも一つの手だ」と懸念を表明しています。黒田総裁は、それらの発言に対してけん制球を投げたのです。

 なぜ、黒田総裁は多くの反対意見がある中でも消費税を上げたいのでしょうか。そこには、黒田総裁が元財務官僚だったということが背景にあるのではないかと私は考えています。

 では、ここで問題です。黒田総裁の出身母体である財務省にとって、最悪のシナリオとは何でしょうか?

 多くの人は、「日本の財政が破綻すること」と答えるでしょう。もちろん、今の日本は1000兆円を越える財政赤字を持っていますから、財政破綻は多くの人が懸念していますし、すべての立場において最悪のシナリオです。しかし、「財務省だけ」の最悪のシナリオがあるのです。

 それは、財政が縮小されることです。矛盾しているように感じるかもしれませんが、「財政赤字を多く抱えているから、とにかく歳出を絞りましょう」ということになるのが、彼らにとって最悪のシナリオなのです。

 財務省が持つ最大の権限とは各省庁への「予算の配分権」です。それが権力の原泉です。財政が縮小されたら、自分たちの権力が弱まるということにつながります。つまり、彼らは「税収」と「予算」によって権力を維持しているのです。これが縮小されることは絶対に避けたいと考えているのです。

 逆に、財務省にとっての最高のシナリオというのは、税収をたくさん増やして、財政赤字の心配を減らしながら、予算もたくさん組むことです。ですから、彼らは是が非でも税収を上げたいと考えている。彼らにとって、消費税増税の延期や成長戦略第二弾で期待されている法人税減税は、とんでもない話なのです。

 もし黒田総裁が、財務省の思惑を日銀総裁という仮面をかぶって発言しているのだとしたら、これは大きな問題です。日銀は経済運営について独立した立場から発言しないといけません。財務省の代理人のような発言をしてはいけないからです。

 先ほどの黒田総裁の発言について、もう一つ、意図が感じられます。黒田総裁がこの発言をした会見が行われたのは8月8日でした。その4日後に、4~6月期のGDP発表が控えていたのです。

 日銀総裁としてGDPの内容を知っていたかどうかは分かりませんが、結果的に同四半期のGDPは名目で2.6%、実質で2.9%となり、市場予測の3.4%より落ち込んだ結果となりました。悪い数字ではありませんが、微妙な水準だと言えます。

 政府は「消費税増税は4~6月のGDPを一つの判断材料にする」と言っていましたから、いずれにしても黒田総裁は12日のGDP発表をにらんで、消費税増税反対を唱えている人たちにけん制したいという思惑があったことは間違いありません。

 消費税を上げても、景気は本当に腰折れしないのか。それとも、多くの人が懸念しているように、景気が減速してしまうのか。それは、増税してみないと分からないという部分はありますが、現状の経済状況を考えると、高い確率で景気は落ち込む心配があります。

 私たちの給与の増減を示す「現金給与総額」は、長い間減少し続けていましたが、給与の源泉である「名目GDP」は、昨年の10~12月以降、ある程度順調に増加してきて、今年4~6月の成長率は2.9%となっています。景気は徐々に回復してきていることは間違いありません。

 しかし、その回復は今のところは本格的であるとは言えません。前回も分析したように、不安材料が多々ある上、「現金給与総額」も、6月にようやく反転し始めたものの、それほど増えていないからです。今の状況で消費税が3%上がってしまうと、私たちの可処分所得が2%以上減ってしまうわけですから、かなりの確率で景気が失速します。消費者物価がじわじわと上昇しつつあることも無視できません。

 その一方で、一部の論者や欧米の報道では、「日本は消費税を上げないと、日本国国債の格付けが下がる恐れがある」という意見もあります。確かに、その可能性は小さくはありません。消費税増税を行うにしても、やめるにしても、リスクが伴うのです。

 そこで、消費税を1%ずつ5年間かけて上げていくという案や、増税を先送りすべきだという意見が出ています。私は小刻みに上げていく案に賛成です。消費税増税を先送りすることは、先に述べたように、国債の格付け下落、さらには金利上昇などのリスクがあるため、やるべき必要があると考えます。その点においては、公約通り来年4月の実施が望ましいと思います。

 ただ、それは3%である必要はないと考えます。徐々に景気を見極めながらやるべきだと思います。景気を腰折れさせては元も子もありません。現状の景気の状況を考えれば、年に1%ずつ程度から始めるのが良いと考えます。そして、その後は、景気の状況を見ながら、毎年、上げる率を判断していけば良いと思います。

 本格的に日本経済が回復基調に突入したら、消費税を2%くらい上げても問題ないと思いますが、今の状況では、1%程度が妥当なのではないでしょうか。

 消費税の増税は、民主党政権時代に法律で決められてしまいましたから、このままですと来年4月に3%上げることになってしまいます。ただ、今は幸いなことに衆参のねじれが解消しましたから、自民党が妥当な路線を決めて法律を変えればいいだけの話です。つまり、増税のやり方を柔軟に変えることは可能だということです。

 甘利明経済財政担当相は、消費税増税の判断について「10月1日に発表される9月の日銀短観を最終判断の材料にする」と発言しました。10月上旬に、消費税増税の具体的な方向性が示されると思われます。9月の日銀短観だけでなく、それまでの主要な指標の動きにも注意することが肝要です。

 消費税増税に関しては、以下のことも考えなければなりません。現状の高齢化の進行や財政赤字の状況を考えれば、消費税率がたとえ10%まで上がったとしても、それではまったく不十分です。このままでは、さらに税率を上げていく必要があります。

 その際に、ムダな支出の見直しを徹底的に行い、ムダを省きながら、必要なものに重点的に歳出を行うということも大切です。

 さらには、後でも述べますが、法人税等も含めたもっと大きな視点での税制のあり方も見直さなければなりません。増税ばかりでは国民生活も企業活動も成り立たなくなってしまいます。

 消費税をどのようにしていくか議論することも大切ですが、いずれにしても、日本の国力を強くするような成長戦略を打ち出さない限り、根本的な解決にはなりません。逆に言いますと、成長戦略によって経済が成長し始めたら、消費税を下げても税収を確保することができるのです。

 先日、ある報道番組で、日本の富裕層が海外に逃避し始めているという話を特集していました。向かう先はシンガポール。なぜシンガポールかといいますと、同国の税負担は日本に比べて格段に低いからです。富裕層は、負担の大きい日本の税制を嫌っているのです。

 日本の税制は利益を出す企業、稼ぐ人ほど税金の負担が大きいのです。ですから、稼ぐ人ほど、どんどん海外に逃避してしまいます。今は経済がグローバル化していて、人やお金の移動が自由になってきています。それは個人だけでなく、企業も同じです。企業の場合は、日本が停滞すれば、ビジネスチャンスを求めて海外に出ていきます。

 先ほどの報道番組によりますと、シンガポールに逃避している富裕層の数はまだ年間1000人程度ということですが、企業はもっと早い時期から海外に進出しています。海外で儲けて、海外で税金を払って、海外で富を蓄積しようという動きは、すでに始まっているのです。

 このような国内から海外へ資本が流出する「キャピタルフライト」に対し、国税当局も日本国も危機感を持っています。来年の確定申告から、海外に5000万円以上の資産を持つ人は、税務署に届け出なければいけないという規定が設けられました。違反者には罰則もあります。しかし、これでキャピタルフライトを防げるかと言えば、本質的な解決策にはならないのです。

 結局は、企業にとっても、個人とっても「日本に留まりたい。日本でビジネスをしたい」と思えるような政策をとらない限り、どんどん海外に出て行ってしまいます。やはり鍵は成長戦略なのです。

 私は、がんばって利益を出している人や企業にどんどん負担を強いるような税制は、国内の経済を衰退させると考えています。がんばればがんばるほど頭が押さえられるような税制や政策は避けなければなりません。そして、やむを得ない事情があって仕事ができない人を支えることは必要でしょうが、制度に依存している人や、制度を悪用する人には厳しい対処をすべきなのではないでしょうか。

 例えば生活保護費の不正受給の問題や、中小企業の7割が法人税を払っていない問題などは、絶対に解決してほしい問題です。後者については、もちろん中には本当に儲かっていない会社もあるでしょうが、法人税の納税を免れるために、税制上、赤字にしているところも少なくないのです。

 制度をもう一度見直し、真面目に利益を出している人の負担を減らしてあげるような形にしなければ、本当に稼ぐ人や、利益を上げている企業はどんどん海外に出て行ってしまいます。そういう意味でも、課税ベースを広げた上での法人税減税などを行うべきだと思います。

 改革すべきは税制だけではありません。

 規制によって既得権益を得ている人たちがいます。彼らが過剰に得ている利益を再配分することも大切です。例えば、電力料金がどんどん値上げされている問題があります。確かに、円安によって液化天然ガス(LNG)の輸入額が増えていますから、仕方がない部分もあります。しかしその一方で、電力会社の従業員の待遇が過剰に優遇されていることも指摘されてきました。

 電力会社は、いわば独占企業です。なぜ独占が認められているか、ご存じでしょうか? それは、供給責任があるということもありますが、経済学的には「独占させた方が安くエネルギーを供給できるから」なのです。複数の企業が少しずつエネルギー供給をするよりも、一つの企業が独占してエネルギーを供給した方が、コストが安い上に安定的にエネルギーを供給することができるのです。「規模の利益」があるということです。

 つまり、消費者の負担が減らせるからこそ、独占が認められているのです。しかし、一番分かりやすい東京電力を例にとりますと、彼らは本来、消費者のために独占が認められてきたにもかからわらず、それを既得権益ととらえ、自社の従業員の待遇を良くするために利用しています。長い間、既得権益を守り続けた結果、それが消費者のためではなく自社のためのものにすり替わってしまったのです。

 それが企業体質にしみこんでいることは、原発問題への対応を見ても明らかです。余談ですが、東電は財務的にも政府の援助なしには立ちいかない状態で、ゆがんだ企業体質を考えても、一旦破たん処理をしたほうが良いと私は考えています。

 独占企業はほおっておくと過剰な利益を得られやすい仕組みになっています。「利益を出すな」とまでは言いませんが、独占によって得た過剰な利益を従業員と株主で分配するのは間違っています。まずは消費者に還元すべきではないでしょうか。独占企業の在り方も、今一度見直しが必要だと思います。

 安倍政権は成長戦略第二弾で、そういうところにメスを入れられるのでしょうか。電力会社だけではなく、農家も同様です。農家を過剰に守るために、国民はどれだけのお金の負担をしているでしょうか。高い米代が下がるだけでも国民生活にその分、ゆとりができます。このように既得権益を得ている分野の規制を緩和することができれば、かなりのお金が家計や企業で浮いてくるはずです。

 増税より先にやるべきところはたくさんあるのです。しかし実際にはやりません。なぜかというと、自民党は各業界団体の代表者が多く集まっているからです。言い換えれば、既得権益を持っている人たちの代表者です。自分たちの支持母体にメスを入れるようなことはできなかったのです。

 それを、今回の成長戦略第二弾で打破しようとするのか、しないのか。日本経済、ひいてはこの国の将来のために、是非とも既得権益を打破し、大胆な規制緩和に踏み切ることを強く期待します。(つづく)



Kingo Sasa【笹  謹吾】شكرا 🌻



病欠(涙)

何故か半期に1回の営業本部表彰式の時に、体調が崩れる。