2012年1月1日日曜日

Fwd: [STYLE for me] ジェントルマンって何? vol.10 『ベラム』より「服装の心得22カ条」 ≪ GQ JAPAN



笹  謹吾

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差出人: haretara iina <kumorikana@gmail.com>
日時: 2012年1月1日 16:41:00 JST
宛先: kumorikana@gmail.com
件名: [STYLE for me] ジェントルマンって何? vol.10 『ベラム』より「服装の心得22カ条」 ≪ GQ JAPAN


小説『ベラム』より「服装の心得22カ条」

1.服があまりにフィットしすぎて、着る者を飾るようではいけない。自然は写生するものであって、そこから美を引き出そうとすべきものではない。アペレス(古代ギリシャの画家)はプロトゲネス(古代ギリシャの画家)の自然は自然っぽすぎるといって非難したものだ。

2.服装から一般に通用しているテイストをすっかり奪い取ってはいけない。世間は奇抜を大事においては天才的だと判断するけれど、小事においては愚行とみなすものだ。

3.服装は他者を魅了するものであって、自分を魅了するものではないということを常に覚えておくべきだ。

4.身づくろいにかけた情熱については、忘れるべきだ。心理的平静は成功の秘訣だ。エルヴェティウス(18世紀フランスの哲学者)は、失敗は激しい感情から生まれると言っているが、これは名言だ。

5.申し分のない勇気をもったもの以外は、あえて女っぽさを演出するべきではない。スパルタの人々は香水を使い、髪の毛をカールさせたけれど、それは彼らだからこそありだったのだ。

6.華麗なチェーンや指輪が自分の選んだものだと思われないようにすべきだ。これらはそもそも女性のものなのだから。あえてこういったものを身に着ける場合も、男はそれらに威厳を与えるべきだ。

7.女性の愛情を勝ち取るためには、服装を気にしていないように見せるべきだ。しかし愛情を持続させるためには、服装に配慮が行き届いているように見せるほうがよい。最初は服装への無頓着が愛の激しさゆえに服まで気が回っていない、というふうに見え、次は服装への配慮が愛する女性への敬意の証と見えるからだ。

8.男が完璧なドレッサーであるためには、深遠なる計算が必要だ。大使に会いに行くときと、恋人に会いに行くときとで同じ格好をするなんてありえない。ケチな叔父さんに会いに行くときと、見栄っ張りな従兄弟に会いに行くときとは違う。服装ほど巧妙な効果をあげる外交手段はない。

9.うまく気に入ってもらいたい人物がめかし屋だった場合、その人とよく似たベストを着ていくといい。ラコンの作者によれば「真似することは、真似された人の気をよくする」。

10.ハンサムであることはそれだけで人を引き付けるけれど、ハンサムでなければ非の打ちどころがないようにすれば問題ない。我々は偉大な人物を前にしたときは、その人のすごいところを探すけれど、普通の人を前にしたときには、その人に特に落ち度がない限りは、特に気にしない。顔のよし悪しについてもこれと同じだ。

11.服装の研究は何も若者に限った話ではない。誰であっても、服装の無頓着は不作法なのだ。年代によってふさわしいテイストというのがあって、若者は愛されるように、年長者は尊敬されるように配慮すべきだ。

12.愚か者は安物で派手に着飾るのがせいぜい。上手に服を着ることはできない。なぜなら、服を着るには判断力が必要とされるからだ。ラ・ロッシュフコー(17世紀フランスの文学者)は核心をついている。「知性だけでは愚かさを完全に避けることはできない。しかし、判断力があれば、人は決して愚か者になることはない」。

13.襟元の布や髪の毛のカールには、そんじょそこらの思想を超えるパトスがある。チャールズ1世の肖像画がボブウィッグや弁髪で描かれていたら、我々はこの王の不幸やこの王が起こした問題に、いまほど同情的だっただろうか。ヴァンダイク(17世紀にイギリス上流階級の肖像画を多く描いた画家)はヒューム(18世紀のイギリスの政治思想家)よりも雄弁なのだ。

14.服装において最高の優雅を生む原則は端正さだ。最も下品なのは精密さだ。

15.服装には2つのコードがある。プライベートとパブリックだ。注目は他人から集めるものだけれど、清潔さは自分自身が生み出すものだ。

16.「なんて上手に服を着た人だ」と言われてはいけない。「なんてジェントルマンらしいんだ」と言われるようにするべきだ。

17.色を多く使ってはいけない。一般に普及しているもの、うるさくない色合いで、節度あるようにすべきだ。アペレスは4色しか使っていない。それでけばけばしさを抑えていたのだ。

18.深い洞察力をもった人にとって表層的なものなど何もない。思考が現れるのは些細な物に、なのである。ある王様が、「この手紙に、どこか優柔不断なところはあるか」と当時最も聡明と言われた外交官に尋ねたところ、外交官は「このnとgにです、王様」と答えたという逸話もある。

19.優しい男は不注意からであれ、自己顕示欲の発露からであれ、他人にショックをあたえたりは決してしないものだ。だから服装に無頓着な男のよさも、めかし屋のよさも、どちらも疑ってかからないといけない。

20.踵までストッキングで隠すのが人に好印象を与えるのは確かに間違いないが、ダイアモンドの指輪は悪意があると考えられる可能性がある。

21.服装に、何か新しい要素をもち込む場合、アディソン(ジョセフ・アディソン。18世紀初頭のイギリスのエッセイスト)のよい文章の秘訣と同じようにするべきだ。つまり「改良(リファイン)は自然であるべきで、あからさまであってはならない」。

22.くだらないことをくだらないとしか判断しない人間はくだらない人間だ。そこから何らかの結論を引出したり、あるいは長所を見出したりできる人間は哲学的だ。

鈴木文彦 Fumihiko Suzuki
一橋大学修士、パリ第4ソルボンヌ大学フランス文学修士。ダンディズムを中心に男性服飾史、ヨーロッパ文学、絵画、社会思想などを研究している。翻訳家でもある。

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笹  謹吾


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投稿者: haretara iina 、固定リンク: STYLE for me 、日付: 1/01/2012 04:30:00 午後

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